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きものの里探訪記 八重山上布(Part2)

きものの里探訪記 第一弾 八重山上布の里 石垣島にて(Part2) 名匠 新垣幸子(あらかき さちこ)を訪ねて

新垣先生
名匠 新垣幸子先生
今回は、八重山上布の里に新垣先生を訪ねての完結編となります。 前回は八重山上布復活にかけた情熱を中心に紹介しましたが、完結編は八重山上布の存亡にかかわる今後の課題についてお話を伺っています。 (糸の確保が大きな課題) 八重山地方は亜熱帯性気候に属しており、質のいい苧麻が育つ。 あたりまえのことだが、質のいい苧麻からは質のいい糸を紡ぐことができる。 また、苧麻は年に4~5回収穫することができるが、なかでも春と秋に収穫した苧麻は特に上質で細い糸を紡ぐことができる。 今、八重山の文化そのものである八重山上布に最大の危機が訪れている。 上布の原料である苧麻は収穫できるのに、糸が確保できないのだ。 そう、糸の紡ぎ手が圧倒的に足りない状況なのだ。 昔は各家庭で当たり前のように上布が織られていた。上布を織ることが家事の一つだったのだ。 したがって、お婆ちゃんからお母さんへ、お母さんから娘へと織り手が変わり、お婆ちゃん、お母さんは糸の紡ぎ手になるサイクルができていた。 しかし、洋服の普及・着物離れもあり、現在は各家庭で上布を織ることはなくなった。 織り手、紡ぎ手のサイクルが途切れてしまったのだ。 このように、沖縄県石垣島においても伝統文化の一つが崩壊の危機にさらされています。 『グローバル』化という言葉ひとつで 片づけてしまっていいのでしょうか! 真のグローバル化とは何なのかを 私たち日本人は改めて考え直さなければいけないのではないでしょうか。 (八重山上布と自然環境) 染めの焙煎にはどうしても化学薬品がついて回る。 八重山上布と言えば海ざらしが有名だが、生産性が悪く採算ベースにはのらない。  このようなことから、大正時代には媒染在として重クロム酸等の化学薬品を使うよう指導されていった。 しかし、重クロム酸は毒性が強く、大きな公害問題へと発展してしまいました。 このような経験から、昭和50年代後半から八重山上布の媒染には、昔ながらの海ざらしが復活したのです。 海に何本も浮かぶ 八重山上布の反物をみると、自然を大切にしなければならないという強い気持ちを改めて感じました。 海水で染料を生地に定着させる。 先人の知恵には頭が上がりません。 自然との調和こそが、いま世界に求められているではないでしょうか! 
海ざらし
海ざらし
(今後の活動・抱負) 最後に新垣先生に 今後の抱負について尋ねてみました。 これまでは古八重山上布の復活に注力してきたが、今後は復元も続けてはいくが、 やはり『自分の作品づくり』を中心とした活動にシフトしていきたい。 また、今年の夏用の着物は新しい着物を発表すると力強く語ってくれた。 なぜなら一反織り上げるのに約一年近い歳月を費やさなければならないからだ。 (編集後記) 最後に新垣先生がつぶやいた一言が私の胸を強く打ちました。 フィンランドの友人の一言だが、『フィンランドでは家庭に織り機があり、母親は家族のために織物をしているのに日本の家庭にはなぜ織り機がないのか?』 高度経済成長の中、有り余るほど豊富な物資、生産の合理化、生産性向上に始まり、終には一番大事なはずの従業員のリストラにまで発展! 記憶に新しい派遣切り 私たち日本人は本当に大切なもの 『こころ』 を失ってしまったのではないか? 自分たちの大事な文化を捨てていくということは、『こころ』を捨てていくということではないでしょうか! 取材の最後に名匠 新垣幸子がつぶやいた一言に大変ショックを受け、これからも日本の伝統文化を大切にし守りたいと思う気持ちがいっそう強くなりました。(和 店主)

星に願いを!

『サザンクロス』

聞いたことありますよね!
そうです! 『南十字星』です。正確には「南十字座」というみたいです!
みなさん 見たことはなくても知っていますよね! 文学作品など、いろいろな作品にも数多く登場してます!
とっても有名な星座ですから、星好きの人はぜひ一度見てみたいですよね!
この星座、一般的には日本からは 見ることができないと言われている星座なんです!
だから、見たいみたいと思って、とっても有名な星座になったんですかね?
でも、日本のはずれ 石垣島からは、見ることができるんです!日本で見ることができる場所は、このあたりだけではないでしょうか!
今の時期は、夜9:00頃に南の空に昇ってきます。観測には絶好の条件です!しかし、この時期、先島諸島は梅雨の真っただ中で、なかなか見るチャンスに恵まれません。
しかも、地平線ぎりぎりまでしか昇ってこないので、十字の一番下の星『アルックス』まで綺麗に見えることはなかなかないんです。
でも、みなさんにぜひ写真だけでもと思い、毎夜 カメラ片手に足しげく通いました。
やっと、いいのが 撮れました。場所はANAインターコンチネンタルホテルのお部屋からとビーチからの2枚です。
とってもロマンチックですよ!!

南十字星
南十字星とαβ
※十字の左にはケンタウルス座の一等星α・β!

『星に願いを!』のタイトルどおり何かをお願いしたくなる素敵な星座でした!みなさんも写真に願いを込めてみたらいかがですか!
やっぱり南の島は素敵です!
※星のお写真は、個人的に使用する場合は、ご自由にどうぞ! ただし、ブログとかホームページで使用するのはご遠慮くださいね!

着物の里探訪記第五弾

きものの里探訪記 第五弾
米沢紬の里~紅花染に魅せられて~ 山形県米沢市にて
株式会社新田  五代目新田源太郎さんを訪ねて

株式会社新田 株式会社新田


きものの里探訪記も第五弾となりました。 沖縄は石垣島から始まった探訪記も遂に東北までやってきました。
記念すべき東北編の第一弾は米沢紬です。

五代目新田源太郎 米沢の織屋の中でも紅花染で有名な『株式会社新田』に五代目 新田源太郎さんを訪ねました。 源太郎さんからは米沢紬への『熱い想い』と『自分の夢』を語っていただきました。 まだ、お若いのに礼儀正しくまたご自身の夢をきちんと持ってらっしゃる事が伝わってきました。 さすが五代目と感服です!! ちなみに独身とのことです!!
五代目 新田源太郎氏


【米沢市】
米沢市は東北地方の南部、山形県の南東部にある人口約9万2千人の置賜地方の中心都市で、置賜総合支庁の所在地でもあります。 また、近くには天元台スキー場や栗子国際スキー場、白布温泉を始めとする米沢温泉郷など自然に恵まれた山形県人口第四位の市です。

【米沢紬(よねざわつむぎ)】
「米沢紬」、「長井紬」、「白鷹紬」の3つの紬を総称して【置賜紬(おいたまつむぎ)】と呼ばれています。 置賜とは山形県の置賜地域のことで、米沢市を中心として、近隣市町(長井市、南陽市、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町)を含めた3市5町の地域です。 【置賜紬】は第9代米沢藩主、上杉鷹山(ようざん)公(1751~1822年)の藩政再建策に端を発し、山形県置賜地域に伝わる伝統産業として現在に至ります。
今回、置賜紬の中でも、米沢紬の米沢を訪れた一番の理由は紅花による染めを見たかったからです。 生憎、訪ねた時期が良くなかったこともあり、染めの体験は出来ませんでした。 しかし、源太郎さんが『次に来たときは是非、染め体験をしてください』と仰ってくれたので、もう一度米沢を訪れるチャンスが出来たのでとってもラッキーでした。(米沢紬Part2に乞うご期待!!)
話は紬から少し変わりますが、本来 米沢は袴の産地としてもとても有名で、その中でも新田は『袴の新田』と言われるほど品評会で数々の賞を得たそうです。
賞に輝いた袴
源太郎さんの作品
しかし、袴の生産は大正時代をピークに今では全生産数量の1割とのことでした。 時代の移り変わりとは言え、日本は『大切なもの』を失っているんだと今回も感じました。
現在の新田の生産の割合は、着尺が7割、帯が2割、袴が1割だそうです。
源太郎さんに将来の夢を尋ねたところ、『袴の復活』と力強く返事が返ってきました。 これからも袴の産地 米沢に恥じないよう袴に注力していくとのことでした。 袴の産地としての米沢にこれからは注目したいです!
工場内では織機が所狭しと並んでいました。全体の90%は機械織りとのことでした。
benihana_006.jpg


【紅花染】
紅花からは黄色と赤の種類の染料が取れます。 花が黄色のときに摘み取ります。それを水洗いして黄色の染料が取れます。 ここでは詳しくは触れませんが、その後いろいろな工程を経て赤の染料が取れます。 これに藍の青色が加わると色の3原色が揃います。
源太郎さんの祖父である三代目秀次氏が昭和38年に紅花と出会い、以来紅花にとり憑かれ、 ひたすら自ら納得のいく色を出すために 染め続けて現代に至っているとのことです。
紅花 ここで紅花について少し触れておきます。 紅花は、アザミに似た菊科の花です。梅雨の時期から梅雨明けにかけて、真黄色の花を咲かせます。 原産地のエジプト・地中海沿岸からシルクロードを経て、飛鳥時代に渡来しました。 特に江戸時代においては、土も肥えて水はけもよい最上川流域は紅花の一大産地となり、山形の紅花は京都や大阪で大変重宝されました。 現在では、加工用の最上紅花や、切花用のとげなし紅花・しろばな紅花などが、山形県内の村山・置賜地方を中心に栽培されています。 昭和57年には、紅花が山形県の花として定められました。
紅花


紅花染の着尺
今回の取材の最後に紅花の赤の染料だけで染め上げた門外不出の着尺を特別に見せていただきました。 神秘的な赤色にすっかりと魅了されてしまいました。
染め体験をするために絶対にもう一度米沢の地を訪れようと思いました。


【編集後記】
今回の取材は10月の始めでした。 気候も良く、東北編第一弾の取材はとてもすばらしいものとなりました。
源太郎さん 本当にありがとうございました。 すばらしい袴が織り上がることを期待しています。 今度は絶対に染め体験をしたいです。
末筆となりましたが、米沢駅まで送ってくださいまして本当にお世話なりました。 また、いつかお会いできる日が楽しみです。
きものの美 和(なごみ)
店主

※この記事は2010年10月のものです!

着物の里探訪記第四弾

きものの里探訪記

第四弾 博多帯の里 福岡県筑紫野市にて
西村織物株式会社 専務取締役 西村照子さんを訪ねて

博多織献上館

きものの里探訪記第四弾は、第三弾『久留米絣』に引き続きまして九州編となります。
九州編の締めくくりは、やはり有名な『博多帯』ですよね!
そこで今回は、織屋の中でも創業140年 老舗中の老舗であります『西村織物株式会社』に専務取締役 西村照子さんを訪ねました。
【筑紫野市】
西村織物は、福岡県中部に位置する筑紫野市にあります。
筑紫野市は博多から電車で約20分 人口約10万人の市です。

また、『博多の奥座敷』と称される二日市温泉があり、学問の神様として有名な太宰府天満宮(太宰府市)も近くにあります。
【献上博多帯】

献上帯 慶弔五年、福岡藩(黒田藩)藩主 黒田長政が、特産の博多織りを徳川幕府に献上したことから、『献上博多』という由緒ある名称が付けられました。

 献上帯の柄は仏具の独鈷(どっこ)、華皿(はなさら)と縞をモチーフにし、織屋ごとに独自の意匠デザインとなっています。 また、経糸(たていと)の密度を多く、細い片撚糸を合わせて太い緯糸(よこいと)を筬で強く打ち込み、おもに経糸を浮かせて柄を織り出すのが博多織の特徴です。

   博多帯の締め心地には定評があり、締める際には「キュッキュッ」と絹鳴りする独特の魅力があります。

【糸繰り、整経工程】
糸繰り作業では、糸のよれ、絡み、癖のある糸を正常にし、均一でゆるぎない一本糸にして「枠」に巻きつけて行きます。
こうして、極細な糸を徹底的に均一の糸に仕上げていきます。
こうして出来た均一な糸を指定紙に沿って、整然とドラムに巻きつける作業を整経といいます。
経糸で柄を織り出す博多織りにとって、経糸(たていと)を整える「整経(せいけい)」という工程は極めて重要な作業となります。
熟練工の目と手が、その重要な作業を支えています。
どんな時代になろうとも、やはり人間の研ぎ澄まされた感性は物作りの『基本』だと思います。

糸繰り 整経
糸繰り工程整経工程


【織り、検品工程】
機に経糸を仕掛け、いよいよ織りの工程です。この写真の織機では、二本の帯を同時に織り上げています。
織りのスピードに驚いたのですが、アパレルの織機のスピードと比較すると十分の一のスピードとのことです。

やはり最後の検品は『目』です。
傷や汚れなど細部のチェックと全体の仕上がり感を厳しくチェックします。

こうして、現代の博多帯は、徳川時代より受け継がれてきた『博多織の魂』を背負い、お客さまのもとへと旅立ちます。
織り工程 検品工程
織り検品


これまで、織物の工場をいくつか見てきましたが、規模の違いにビックリしました。
これまで見学した工場が『家内制手工業』なら西村織物は『工場制機械工業』といった感じで伝えれば違いが伝わるでしょうか?
まさに産業革命です!!

【伝統工芸士】
『伝統工芸士』井上さん
『伝統工芸士』井上久人さん

高級な博多織は、現在も熟練の技術者による手織りで織っています。

機械織りに比べると生地が一段としなやかになるそうです。

※今回の取材中、偶然にも伝統工芸士の井上さんにお会いすることができました。

【博多織り献上館】
工場見学の後、博多織献上館をゆっくりと見学させていただきました。
こちらは西村織物さんの直営ショップとなっています。
帯・着尺をはじめとして、草木染めのストール、スカーフ、ウェアも販売していました。

『守るべきものは守り 時代に合わせて変えるべきところは変える』

西村織物に『老舗のあるべき姿』を見ることが出来ました。

【編集後記】
今回の取材は、久留米絣に引き続いて実施しましたので、猛暑の中の取材となりました。
異常な暑さにも関わらず、快く取材に応じていただき本当にありがとうございました。
専務取締役の西村様には『商売の心構え』も手ほどきいただきまして本当に感謝しております。
西村様との会話を通じて、西村様の人間性に深く感じ入りました。 まさに西村織物の精神は、『良い品を良い人で』(私の好きな言葉です)だと思いました。
また、広報担当の押見様、春田様お世話になりありがとうございました。 末筆となりましたが、今回の取材をセッティングいただきました博多織工業組合 事務局長の吉丸様 お世話になりまして本当にありがとうございました。

きものの美 和(なごみ)
店主 

※この記事は2010年夏のものです!

着物の里探訪記第三弾

きものの里探訪記
第三弾 久留米絣の里 福岡県久留米市にて
久留米絣協同組合 理事長 田中寛さんを訪ねて

 田中さんの工房 理事長の田中寛さん
藍華 田中絣工房理事長 田中寛さん

きものの里探訪記第三弾は、遂に沖縄県を離れ、九州は福岡県久留米市 久留米絣協同組合の理事長である田中寛さんの工房を訪ねました。
【久留米市】
久留米市は福岡県南部の筑後地方の人口約30万人を擁する福岡県第三位の都市です。 また、久留米市は松田聖子やチェッカーズの藤井フミヤの出身地としても有名です。 特産品の一つに、豚骨ラーメンがありまが、なんと久留米市は豚骨ラーメン発祥の地でもあります。 もちろん、久留米絣が特産品であることは、言うまでもありません。
【久留米絣】
久留米絣は、江戸時代後期 井上伝という当時12歳の少女が創始したとされています。当時は久留米藩が産業として奨励していました。 久留米絣の特徴は、綿織物で藍染めが主体の先染めの織物です。 伊予絣、備後絣とともに、日本三大絣の一つとされています。
代表的な柄の久留米絣 代表的な柄の久留米絣
代表的な久留米絣

【絣糸作り】
糸を括り絣糸を作り、絣模様を作ります。 勿論、手で糸を括ります。一反分の糸を括るのにや1週間かかるそうです! 根気のいる作業ですね! また、括り糸に【あらそう】と呼ばれる大麻を使用していましたが、現在は当局の厳しい管理の下で栽培されていることもあり、数が少ないことから手に入り難くなり、昨今はナイロンも使われているそうです。 【あらそう】は手荒れしない、括りやすく解きやすいなど使い勝手がとてもいいそうです。 薬物と伝統文化を天秤にかけるのは良くないですが難しい問題です。
木綿糸

【藍染め】
土間に高さ約1mのかめがたくさん埋められています。 日本酒を加えて発酵させますが、地中は温度が安定しているので発酵させるにはいい条件が揃います。 また、原料の藍は良質なことで有名な徳島県産の阿波藍を使用しているそうです。 このようにして苦労して作られた藍染めの染料の寿命は約3週間です。 伝統を守って物づくりをするのは大変なことです。 伝統の重みを改めて感じさせられました。
藍染めのかめ藍
藍染めのかめ原料の藍

【織り】
熟練した織り手により、先染めされた木綿糸は久留米絣へと姿を変えていきます。 絣を合わせながらの作業には感服します。 一反を織り上げるのに約一ヶ月の歳月を要します。 この後、検査を受けて合格した反物だけに『伝統的工芸品』久留米絣の称号が与えられます。
機織り

田中さんは、「昔ながらの絣模様だけではなく、伝統を守りながら新しい柄にも挑戦している」と力強く語ってくださいました。 『守るべきことはきちんと守り、変えるべきことは時代に合わせて変えていく』 これからの伝統工芸の進むべき道ではないでしょうか!

久留米絣新作

【編集後記】
8月の上旬に田中さんの工房を訪ねました。今年は猛暑で久留米はとっても暑かったです。 そのような状況の中、どうやって駅まで行こうかなと考えていた矢先、田中さんが最寄り駅まで送りましょうと仰ってくれました。 お言葉に甘えて、車で送っていただきました。 本当にありがとうございました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
これからも、久留米絣を応援します。田中さん頑張ってください。

和 店主

※この記事は2010年8月のものです!

【地直し】京悉皆の伝統工芸士を訪ねて!

京の都に友禅の『伝統工芸士』を訪ねて

着物と言えば、京都と思われる方もたくさんいらっしゃると思いますが、 今回は、京悉皆業のプロを訪ねることとしました。

悉皆という言葉を聞いたことはありますか? しっかいと読みます。

一言でいえば、着物の修理(リフォーム)に関してはなんでも相談にのる きもののよろず相談窓口です!

シミ抜き・染替・ヤケの直し・柄足し・刺繍直し・家紋の直し等、いろいろな修理があります。

京友禅・京小紋の美しさは、このような京悉皆業があってこそ成り立っていると言っても過言ではありません!

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日は【地直し(じなおし)】のプロ 中村さんを訪ねました。

中村さんは、『染色技能士1級』であり『京友禅 伝統工芸士』でもあります。

【地直し】とは、文字通り 着物の地を直すことです。 皆さまが、よくご存じの言葉でいえば、『シミ抜き』も地直しの一つです。 要するに、着物の地を元に戻すお仕事です!

一級染色技能士 京友禅 伝統工芸士
★舛添元大臣のときに資格を取得! ★伝統工芸士!日本の伝統文化を背負っています!

私が中村さんに厳しい職人の道を歩まれてきた支えとなっているものを訪ねると、中村さんは一番の励みは『お客さまの喜ぶ姿』だと答えてくださいました。

私は職人さんに対して、「無口」「頑固」など 堅い印象は持っていましたが、中村さんの若き頃の苦労話など、職人さんらしからぬ『心地良いしゃべり』にすっかりと魅せられてしまいました。

<百聞は一見に如かず!>

実際に匠の技を見せてもらいました。 中村さんにしてみれば、匠の技ではない 出来て当たり前 とおっしゃっていましたが、そのテクニックには驚嘆しました。 写真のグレーのちじみの襟元の焼けを補正する作業を見せていただきました。

匠の技 匠の技
グレーの生地に紺の染料????

色合わせもせずに、グレーの生地に紺の染料を挿そうとしていたので、大丈夫なのか??と思って見ていたら、僅かの時間で焼けが修正されて直ってしまいました!!  驚きの一言です! 聞いてみると、生地の中に隠れている本当の色が見えるそうです??

【地直し】... 悉皆業の中でも守備範囲が広く、奥が深い!!
こんな 名人に 『京友禅』『京小紋』は支えられているんだ・・・と痛感しました!!!

中村さんから、シミに対するアドバイスをいただきました。

・近所のクリーニング屋さんには出さないで!! シミが取れるどころか ひどくなることもありますよ!
・生地まで傷んでしまうこともあります!
・シミは放置しておくと、元々の地色までもが変色してしまいます。
仮にシミが取れても、色を挿さないと絶対に元通りにはなりませんよね!

結論は ≪シミ抜きは、京都の悉皆に任せるべし!!!≫  90%以上シミを取ることは出来ます!! 
取れない場合でも、柄足し等々の技術で商品価値を取り戻せます!


がんこなシミ・あきらめていたシミ お困りの方は、こちらまで!!!   

きものの里探訪記 第二弾 宮古上布の里 宮古島にて

きものの里探訪記
第二弾 宮古上布の里 宮古島にて 宮古織物事業協同組合を訪ねて
 宮古織物事業協同組合

きものの里探訪記第二弾は、石垣島のお隣の島、宮古島の宮古織物事業協同組合に専務理事の上原則子さんを訪ねました。 上原さんに、宮古上布について、いろいろな角度からお話を伺いました。

まず、最初は宮古島の素晴らしさを紹介します。 石垣島とはプロペラ機で約30分ぐらいの距離にあるサンゴ礁が隆起して出来た島です。 したがって、全体的に平坦で高い山などはありません。また、ハブのいない島です。 山がないので、雨の後に山の土が海に流れ込むこともありません。 したがって、宮古島の海は、宮古ブルーと呼ばれ、初めて経験する青い海でした。 同じ先島諸島でも、石垣島とはずいぶん違う雰囲気の島です。 また、周囲の池間島・来間島とは海橋でつながっています。一番大きな伊良部島とも2012年の開通を目指して海橋の工事が進行していました。

【宮古島】
宮古ブルー 池間大橋と風力発電
宮古ブルー池間大橋

【宮古上布】
まず、歴史的視点から宮古上布を見てみます。 薩摩藩が琉球を侵略した時代、税金として宮古上布を収めさせ、『薩摩上布』という商品名で全国に流通していました。 やはり、宮古上布も八重山上布と同じく、貢納布として歴史に名を残しています。

『藍染めの十字絣』が宮古上布の最大の特徴です。


宮古上布

きぬた打ちを行うことで大変艶のある生地に仕上がります。

【宮古上布の要件】
宮古上布には、その冠を得るために非常に厳しい条件が課せられています。
1.経、緯糸に手績み苧麻(ちょま)糸を使用すること
2.染めは藍染であること
3.絣は幾締め又は手括りによる十字絣であること
4.手織りの平織りであること

八重山上布においては、緯糸は手績み苧麻(ちょま)糸を使用することが要件ですが、経、緯両方の糸を手績みであることという条件は、非常に厳しい条件であると感じました。 こんなに厳しい条件があるが故に宮古上布の生産数量は1年で20反前後だそうです。 とても稀少価値がある着尺ではないでしょうか。

【宮古上布の生産工程】
1.糸作り  

着尺を織り上げるためには非常に細い糸が必要となります。   やはり糸の紡ぎ手は減ってきているそうで、『苧麻糸手積み技術保存会』が中心となり、細く紡ぐ技術を伝承しているとのことです。   細い糸を使って織り上げるので目付はなんと500g程度ととても軽く仕上がります。

2.絣括り   

絣になる部分を計算し、手または締機(しめはた)で絣模様を括ります。

締機(しめはた)

3.藍染め

 琉球藍に泡盛や苛性ソーダを入れ発酵させて染料を作ります。  黒に近い藍色になるまで何度も染めます。  ここまで染めると水洗いしても色落ちすることもなく、色止めに化学薬品を使うこともないそうです。  しかし、染め上がるまでには何日もかかります。

藍染めの染料

4.機織り、きぬた打ち

   一人前の織り手になるには10年の歳月がかかります。気の遠くなる時間ですね。  織り上がった反物に薄く糊をかけて、5Kgほどの重量の木杵で、生地に艶が出るまで2万回程度たたきます。  実際に持ってみましたが、非常に重かったです。こんな木杵で2万回も叩くなんて想像出来ません!(和 店主の感想)

機織り きぬた打ち

この後、厳しい検査に合格した製品だけが、『宮古上布』の冠をつけることが出来るのです。 一反を織り上げるのに、糸の紡ぎの時間を含めると約一年もの歳月を要します。 機械化がどんどん進むアパレル業界の中、宮古の織物は昔からの伝統を守り続けているのです。 日本の文化を大事にしたいものです。

【編集後記】

宮古織物事業協同組合 専務理事の上原則子様、下里昌博様 今回の取材を快く受け入れていただきまして本当にありがとうございました。この場で厚く御礼申し上げます。

上原さんにいろいろとお話を伺い、ますます宮古上布が好きになってしまいました。

これからも、宮古上布の伝統を守り抜いてください。 陰ながら、応援していきます。

きものの美 和 

店主

『きものの里』探訪  【八重山上布 Part1】

『きものの里』探訪 【第一弾 八重山上布の里】

名匠 新垣幸子(あらかき さちこ)を訪ねて


着物の里探訪記第一弾は、エメラルド色の海と珊瑚礁に囲まれた美しい島 石垣島【沖縄県石垣市】に名匠 新垣幸子さんの工房を訪ねました。
【名匠 新垣幸子】
新垣先生
新垣先生に、八重山上布の復活にかける情熱について力強く語っていただきました。

(はじめに)
みなさん 石垣島をご存知ですか?
石垣島は北緯24度20分 東経124度9分に位置する八重山諸島中心の島で人口は約5万人です。
年間の平均気温は24℃と暖かな亜熱帯性気候に属しています。
また、東京からの距離は1,952Km 飛行機で約3時間30分かかりますが、逆に隣国の台湾までの距離は278Kmと近く、台湾からも定期的に観光フェリーが訪れています。 
このような地理的な条件が、大和文化・中国文化が融合した音楽・伝統芸能・織り染め物等のすばらしい八重山諸島独特の文化を育んできました。

【美しい石垣島】

石垣島風景1


石垣島風景2


(新垣幸子の功績---幻の染色技法復活---)
八重山上布とは、上質の苧麻(ちょま)で織られた織物で、軽くて清涼感あふれる風通しのいい夏用の着物です。

17世紀初頭、薩摩藩が琉球を侵略し、税金として八重山上布を収めさせた。
八重山上布はいわゆる貢納布として歴史に名を残すこととなる。
明治になり、貢納布制度は廃止された。その後、昭和の大戦中一時、八重山上布の生産は中止されていたが、戦後も細々と伝統は受け継がれてきた。
その当時の八重山上布と言えば白地に茶絣が代名詞であり、いまでもそのように思っている方が多いのではないか。

新垣幸子は上京したときに東京目黒区にある『日本民藝館』で展示されていた白地以外の様々な色の八重山上布達に出会い心をはずませた。
新垣幸子が白地に茶絣だけではない八重山上布の復活に情熱を傾けた瞬間だった。

ここでエピソードを一つ紹介しよう。
新垣は 古い時代の八重山上布を探し求めていた。江戸時代に税金代わりに多くの八重山上布が納められていたのだから、骨董店を中心に探せば必ず見つけられると思っていたからだ。
しかし、いっこうに見つけることが出来ない。
ご存知の通り、上布は麻製である。麻は漆器の下張り材として重宝されていたのだ。
そう、古い上布はほとんどが、漆器の下張り材になっていた。だから古い上布は現在にほとんど残っていないのだ。(きものから姿を変えて漆器となる、とってもエコなリサイクルなのだが・・・)
この話を知り、新垣は私が復活させるしかないと心に強く思ったのだ。

この情熱があったからこそ新垣幸子は消え去りし染色方法を復活させることが出来たのだ。
そう、ここに幻の手括り染めが、名匠 新垣幸子の手で復活することとなった。

八重山上布には2種類の染色方法がある。一つは捺染(なっせん)という、竹筆で糸に染料を刷りこむ技法だ。

一方、新垣幸子が復活させた括染め(くくりぞめ)の技法は、色を染めない部分を括り染料に浸す技法だ。
新垣はずっと疑問に思っていたことがあった。
小さな柄の絣は、捺染の技法で上手くかすりになるが、大きな柄は上手くかすりにならない。なぜなんだ!
寝る間も惜しみ、連夜の試作が続いた。独自の工夫と研究の末、終に括染めの技法を復活させ、大きな柄も上手くかすりにすることができたのだ。

八重山上布復活の瞬間だ。


【新垣幸子が復活させた作品の数々】





                            PART2へ続く

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